2020.4.25
本日4月25日は福知山線脱線事故(尼崎事故)から15年の日でした。
当時私はまだ高校生でしたが、
電車がマンションに突っ込んだ光景をテレビで見たときは絶句しました。
時間を追うごとに増えていく死傷者の数が恐ろしかったですね。
平成の時代にもなって死者100人を超える鉄道事故が起こるとは。
15年も経つと、若い世代ではこの事故を知らない人も出ているでしょう。
定時運転が長所でもある日本の鉄道ですが、それが行き過ぎた結果、
・懲罰的なJR西日本の教育体制
・競合路線に勝つための余裕のない高速ダイヤ
・電車が時間通りに動かないと怒る利用者
が招いた象徴的な事故だと思います。
この事故の後、JRは西日本だけでなく全体的に「ゆとりダイヤ」への
修正が進み、そういう意味でも大きな転機でした。
払った犠牲はあまりに大きく、利用者の中では風化したとしても
鉄道事業者は忘れてはならない事故だと思います。
107人が死亡 JR福知山線脱線事故から15年 #nhk_news https://t.co/7xsjo75olz
— NHKニュース (@nhk_news) 2020年4月24日
福知山線脱線事故から15年 祈りの杜で「追悼のあかり」https://t.co/smEzDbIY6S
— 産経ニュース (@Sankei_news) 2020年4月24日
この行事は平成27年から事故の風化を防ぐために始まり、遺族や関係者らの交流の場にもなっていたが、今年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため主催者のみで開催
風化させてはならないのは事業者であることに間違いはないが、数分の遅延で、そもそも接続しない列車への接続を取らなかったことに激昂して乗務員を取囲みイジメる、クレームを言う、というそもそもをわかっていない客が事業者や乗務員を追い詰め事故に至ったことは、国民が風化させてはならない事実。
— 小屋裏工場長(プレハブ) (@yaneura_station) 2020年4月25日
福知山線事故の教訓による改善として大きいのは、保安装置による常時速照と運転記録装置の整備による、速度超過防止の厳正化だと思う。
— うMM'えMM'ぽMM'ん@6M4T (@kaorurmpom) 2020年4月25日
以前は、速度超過はかなり色々な路線で見聞したし、武勇伝的に語られることもあったが、今はそうではない。
ただし、それを以て過去を断罪するのは違うよね。
福知山線脱線事故から今日で15年。
— 快速上信リレー (@rapidchikuma) 2020年4月25日
JR発足以降では最多の死傷者を出した鉄道事故。
安全は定時運転より優先されるということを利用者にも知らしめた象徴的な事故であった。
15年も経つと知らない人も多いんだろうな…
福知山線脱線事故までのJR西日本はダイヤの余裕時分を削りまくっていて、時刻表上はかなりの高速運転だった。
— 快速上信リレー (@rapidchikuma) 2020年4月25日
当時、新快速は京都~大阪27分、大阪~三ノ宮19分で現在より2分ほど速かったが、余裕時分の少なさと意外に加速性能の悪い223系の性能ゆえ、時刻表通りの運転は難しかったとか。
福知山線の快速電車は、脱線事故の2年前に停車駅に中山寺が追加されたものの、最高速度を引き上げて全体の所要時間を変えないことにしたのだが、この計算に無理があったらしい。
— 快速上信リレー (@rapidchikuma) 2020年4月25日
今から15年前の尼崎の脱線事故のとき、メディア各社は事故が発生した路線を「JR宝塚線」と伝えていたのに、しばらくして一斉に「福知山線」に変更したよね。
— 快速上信リレー (@rapidchikuma) 2020年4月25日
ああ、どこかから圧力がかかったんだなあって若いながらも察した。
尼崎から福知山まで正式に「福知山線」なので間違ってはいないのだが、列車の本数や性格からして新三田以南は別路線のような状態であり、「JR宝塚線」と伝えた方がわかりやすいはずなのに不思議だなー(棒)
— 快速上信リレー (@rapidchikuma) 2020年4月25日
事故現場から100km以上離れているのに「ああ、列車が脱線したとこ」との風評被害を受ける福知山市。
— 快速上信リレー (@rapidchikuma) 2020年4月25日
1930(昭和5)年に竣工し、日本郵船シアトル航路の貨客船としてデビュー。
豪華な船内設備と教育の行き届いたサービスは好評だったと聞きます。
米英との戦争が始まると海軍に徴用され、病院船に改装されて南方に派遣。
姉妹船は全て戦没し、本船も何度も危険な目に遭いましたが、
戦前生まれの1万トン級大型商船としては唯一、ほぼ無傷で終戦を迎えます。
戦後は復員船として従事し、混乱が落ち着いた後は再びシアトル航路に復帰。
復興の象徴として1960(昭和35)年まで現役であり続けました。
引退後は解体の危機・保存運営会社の経営難に晒されるも、
関係者の尽力により、最終的には元所有者である日本郵船の管理下に。
現在は横浜港で後輩たちを静かに見守る日々を送っています。
現役でいた期間は30年ですが、保存船になって今年で60年ですから、
もう引退後の年月が現役期間の倍になってしまったんですね。
昭和・平成・令和の3つの時代を波瀾万丈に生き抜いた、
奇跡のOld Ladyに敬意を。
日本郵船氷川丸は本日、竣工から90回目の誕生日を迎えました。また皆様を船内にお迎えできるようになりましたら、竣工90周年記念イベントを開催したいと思います。
— NYK_Line_Official (@nyklineofficial) 2020年4月25日
当社YouTube公式チャンネルの氷川丸探検動画も、是非ご視聴下さい!
前編 https://t.co/xpalgvKyOr
後編 https://t.co/HWEOBnSWYq pic.twitter.com/np4SnNrSn7
氷川丸
— YOKOHAMA VIEWS+ (@OsanbashiNews) 2020年4月25日
90歳のお誕生日おめでとうございます🎉🎂 セレモニーは中止だけど、はい、虹🌈どうぞ。#ハマの虹番長、仕事の合間に密を避けてこっそりお祝い中。
1930年竣工。シアトル航路の貨客船。戦時中は病院船としてたくさんの命を救ってくれた船。今大変な状況にある世界中の人々を横浜で見守り下さい pic.twitter.com/6HBTJEoaGm
本日4月25日、日本郵船氷川丸が竣工90周年を迎えました。
— 快速上信リレー (@rapidchikuma) 2020年4月25日
・北太平洋航路の貨客船としてデビュー
・大戦中は徴用を受け病院船として奔走
・戦後は再び北太平洋航路に就航
・現役引退後は生まれ故郷の横浜港で係留
昭和・平成・令和の3つの時代を生き、今も後輩たちを見守っています。 pic.twitter.com/Z4SYv8w3uJ
氷川丸竣工90周年ということで、自分の蔵書を読み直してみる。 pic.twitter.com/FhGQZJDseP
— 快速上信リレー (@rapidchikuma) 2020年4月25日