2020.4.25

本日4月25日は福知山線脱線事故(尼崎事故)から15年の日でした。

当時私はまだ高校生でしたが、

電車がマンションに突っ込んだ光景をテレビで見たときは絶句しました。

時間を追うごとに増えていく死傷者の数が恐ろしかったですね。

平成の時代にもなって死者100人を超える鉄道事故が起こるとは。

15年も経つと、若い世代ではこの事故を知らない人も出ているでしょう。

定時運転が長所でもある日本の鉄道ですが、それが行き過ぎた結果、

・懲罰的なJR西日本の教育体制

・競合路線に勝つための余裕のない高速ダイヤ

・電車が時間通りに動かないと怒る利用者

が招いた象徴的な事故だと思います。

この事故の後、JRは西日本だけでなく全体的に「ゆとりダイヤ」への

修正が進み、そういう意味でも大きな転機でした。

払った犠牲はあまりに大きく、利用者の中では風化したとしても

鉄道事業者は忘れてはならない事故だと思います。

 

また本日は日本郵船氷川丸竣工90周年でもありました。

1930(昭和5)年に竣工し、日本郵船シアトル航路の貨客船としてデビュー。

豪華な船内設備と教育の行き届いたサービスは好評だったと聞きます。

米英との戦争が始まると海軍に徴用され、病院船に改装されて南方に派遣。

姉妹船は全て戦没し、本船も何度も危険な目に遭いましたが、

戦前生まれの1万トン級大型商船としては唯一、ほぼ無傷で終戦を迎えます。

戦後は復員船として従事し、混乱が落ち着いた後は再びシアトル航路に復帰。

復興の象徴として1960(昭和35)年まで現役であり続けました。

引退後は解体の危機・保存運営会社の経営難に晒されるも、

関係者の尽力により、最終的には元所有者である日本郵船の管理下に。

現在は横浜港で後輩たちを静かに見守る日々を送っています。

現役でいた期間は30年ですが、保存船になって今年で60年ですから、

もう引退後の年月が現役期間の倍になってしまったんですね。

昭和・平成・令和の3つの時代を波瀾万丈に生き抜いた、

奇跡のOld Ladyに敬意を。