初春の伊豆半島をひと回り

 2月20日、春の便りが届き始めた伊豆半島を弾丸でぐるっと一周してきました。

熱海から鉄道で東伊豆の海岸を南下、河津桜を眺めた後、バスで西伊豆

松崎・堂ヶ島へ抜け、土肥を経由して中伊豆の修善寺、最後は鉄道で三島に戻る

というルートです。

 まずは東海道新幹線熱海駅へ。午後から天気は回復するとの予報でしたが、

朝の時点では関東は雨模様。乗客は少ないものでした。

 熱海駅からは伊豆急行の「リゾート21」に乗車します。

リゾート21の登場は昭和63年。大きな窓と展望席、海側に向かって並べられた

座席を備え、山と海に挟まれた東伊豆の風景を車内から存分に楽しむことが

できる、伊豆急行の看板列車です。追加料金を払っても申し分ない車内設備を

備えているにも関わらず、基本的には普通列車に使われており、乗車券だけで

乗ることができるのもよいところ。

好評から増備が続き、現在のリゾート21は2代目に当たります。

実は私、伊豆には何度も行っているのですが、大体は185系の特急踊り子号を

使っており、普通列車を使う時も一般型ばかりだったので、リゾート21

しっかり乗るのは今回が初めてだったりします。大きな窓から眺める

春の伊豆の海はきれいなものでした。

 河津駅で下車し、駅前の河津桜を眺めます。桜まつりが始まっていましたが、

今年は開花がやや遅れ気味で、2月中旬のこの日でもまだ二分咲きといったところ。

それでも多くの観光客が春の訪れを感じさせる河津桜を眺めて楽しんでいました。

 ちょうどよい列車がなかったため、河津駅の2つ隣の蓮台寺駅まで

タクシーを使って移動し、蓮台寺駅下田駅始発・堂ヶ島行きの路線バスに

乗り継ぎます。下田から西伊豆へ抜ける、伊豆の周遊ルートとしては有名な路線の

はずですが、この日については堂ヶ島まで乗り通した乗客は私ひとりでした。

 堂ヶ島西伊豆で最も有名な景勝地で、波や風が岩を浸食してできた様々な

地形が一度に見られるところです。特に「天窓洞」と呼ばれている、海水の

浸食によってできた地下洞窟が地上に開いた孔と吹き抜けになっている場所は、

国の天然記念物にも指定されている珍しい地形です。

また、地理用語で「トンボロ(陸繋島)」と呼ばれる、堆積した土砂によって

陸地と島が地続きになっている場所もあります。ここのトンボロは

形成途上であり、満潮時は水没し干潮時には歩けるようになるという、

おもしろい特徴を持っています。

 堂ヶ島からは国道136号線を走る路線バスに乗り、土肥を経由して修善寺駅へ。

 修善寺駅からは伊豆箱根鉄道駿豆線に乗り継いで帰路につきました。

 駆け足ではありましたが、伊豆半島を公共交通機関だけを使って一日で

ぐるりと一周し、春の訪れを感じることができました。

 

ただ383系しなのに乗りたかっただけの話

 2月12日から13日にかけて、東京→名古屋→長野→大宮と中日本を

一周してきました。特に行きたかった場所があったわけではないんですが、

あえていうなら、久しぶりに振り子列車の383系の特急しなのの走りを

体感したかったんですよね。

 1日目は午後から東京駅発の東海道新幹線で出発し、熱海と浜松で

途中下車しながら名古屋まで移動します。

 熱海では早咲きのあたみ桜が既に満開になっており、一足早い春の訪れを

感じることができました。

 続いて夕飯を食べるために浜松で下車。浜松の名物といえば鰻ですよね。

浜松駅前にある創業百年以上の老舗の鰻屋さんで、浜名湖養殖の鰻を一尾使った

うな重をいただきました。値段はお高めでしたが、とても美味しかったです。

この日は名古屋駅前のビジネスホテルに宿泊しました。

 

 翌朝はゆっくり起きて、宿泊したビジネスホテルの無料朝食はパスし、

名古屋駅地下の喫茶店のモーニングサービスで朝食としました。

 名古屋駅からは今回の旅行の一番の目的である特急しなのに乗車します。

特急しなのに前回は3ヶ月前に乗っていますが、定期的に乗りたくなるんですよ。

季節によって違った顔を見せる木曽路の風景、そして何よりその風景の中を

振り子車両にてカーブで車体を傾けながら高速で走り抜ける特急しなのは

本当に素晴らしい列車です。使用車両が現在の383系になってから26年が

経ちましたが、特急列車に相応しいアグレッシブな走りは健在です。

 特急しなのは名古屋から約2時間で松本に到着。ここで一旦下車し、松本城

見にいきました。数日前に雪が降ったので、雪をかぶった天守を期待したのですが、

意外に気温が上がったようでほとんど融けてしまっていました。

松本駅に戻る途中、目についたお蕎麦屋さんで天ざるそばの昼食を摂りました。

地粉を使った黒みのある十割そばで、歯ごたえがあって美味しかったです。

松本からは再び特急しなのに乗車して長野駅へ向かいます。

特急しなのの乗客は下りの場合、松本で大半が降りてしまうため、この日も

松本からはガラガラの状態で走っていきました。

終点の長野駅では、乗ってきた「しなの9号」と当駅始発の「しなの16号」が

ホームを挟んで並ぶのですが、この日はなんとどちらも増結されて10連!

JR東日本長野駅JR東海383系が長編成を連ねて並んでいる姿は圧巻でした。

長野駅からは順当に北陸新幹線に乗り継いで帰宅。長野駅北陸新幹線

特急しなのを乗り継ぐ場合には乗り継ぎ割引が適用されるのでお得ですね。

 

あしかがフラワーパーク「光の花の庭」

 2月5日、足利市あしかがフラワーパークで昨年末から開催されている

イルミネーション、「光の花の庭」を観に行ってきました。

このイルミネーションは日本三大イルミネーションの一つに数えられており、

関東では最大級の規模。今回で20周年を迎えました。

国内有数の面積を有する植物園を丸ごとイルミネーション会場にしており、

工夫を凝らした展示がおもしろかったです。

特にあしかがフラワーパークの名物といえば藤棚。冬は藤の花の季節では

ないものの、藤棚に青色や紫色のLED灯を無数に吊り下げることで、

「光の藤棚」を作り出しています。これは一見の価値ありですね。

 

しかし、カップルや家族連れ、友人どうしで訪れる人々が多い中、

地味な格好をしてひとり徘徊する30代独身男性は奇異に映ったことでしょう。

 

 

石原慎太郎氏、逝去

 2月1日、元東京都知事石原慎太郎氏が89歳で亡くなりました。

作家としてデビューし芥川賞を受賞、その後は自民党議員として国政に進出、

運輸大臣などを務めた後に引退し、東京都知事選挙に立候補して当選。

都知事任期中にはディーゼル車の俳ガス規制、尖閣諸島の購入検討、

東京オリンピック誘致など、国政にも影響を与える積極的な政策を展開、

圧倒的な人気で都知事選挙に4選する快挙を成し遂げています。

都知事辞任後は自民党とは距離を置いた保守政党を立ち上げるなど、

最後まで「自分のやりたいようにやる」を貫きました。

特定アジア諸国への批判や表現規制に関する歯に衣着せぬ発言は

物議を醸したことがあるものの、強い国家観と愛国心を持った政治家で

ありました。

私も石原氏の考えには必ずしも賛成ではないものの、

こんなに強いリーダーシップと確かな国家観、批判を恐れぬ強い精神、

当然のことを当然だといえる芯の強さを持っていた政治家は稀少であり、

多くの日本人に足りないものを備えていたと評価しています。

石原氏が首相を務める日本を見たかったという人は少なくないでしょう。

まさに「巨星、墜つ」という表現が合う、衝撃が走った日でした。

ご冥福をお祈りいたします。

 

トンガで大規模噴火、日本沿岸に津波警報

 1月15日の深夜、南太平洋のトンガ王国の近くで海底火山が大規模な

噴火を起こしました。その噴火の様子は軌道上を周回する人口衛星からも

鮮明に観察され、巨大隕石でも落ちたのかと思わせるほどの規模でした。

騒ぎはここで収まらず、噴火から数時間後、日本の沿岸では大きな潮位の

変化が観察され始めました。

トンガから日本までの間では大きな潮位の変化はなく、

気象庁はいったん「津波の恐れなし」と発表した矢先のことでした。

なぜ、津波の兆候が見られなかったのに実際に津波のような潮位変化が

起こっているのか?さらに地震による津波にしては南太平洋から

日本までの到達が異様に早い。

太平洋沿岸諸国では最も津波の研究が進んでいるはずの日本の気象庁

首を傾げ、「わからない」とまで言わしめた初めての事態。

それでも人命を最優先に既存のシステムを活用し、津波警報津波注意報

出した気象庁の判断はベストであったと思います。

実際、場所によっては1m程度の潮位上昇が起こり、漁船や養殖いかだに

被害が出ましたからね。

原因は調査中のようですが、火山の大噴火に伴う「空振」が原因との見方が

あるようです。空振でも津波が起こるのか?これはまさに近代の観測史上

初の現象であるので、これからの調査と研究が待たれるところです。

 

そして最も近くで被害を受けたトンガ王国の人々は大丈夫でしょうか。

膨大な火山灰と停電により、外部との通信手段が全てダウンしたようで、

全く現地の状況がわからず安否が気遣われています。

日本でも1995年の阪神淡路大震災のときは最も被害の大きかった

神戸市は通信インフラが壊滅し、被害の状況がわからなかったようです。

そういえば1月17日は阪神淡路大震災から27年でしたね。

 

地球の歴史から見れば人類が繁栄した時期はほんの一瞬なんですよね。

明日には地球の気まぐれで世界がガラッと変わってしまうかもしれない。

災害はいつくるかわからない、ということを再認識させられました。

 

 

 

なつまち10周年!

 1月10日、オリジナルアニメ「あの夏で待ってる」が放送開始10周年を

迎えました。おめでとうございます!

このアニメの舞台は信州の小諸なんですが、小諸は私が少年時代を

過ごした街でもあるのでとても贔屓にしています。

あの夏で待ってる」略して「なつまち」と呼ばれることが多いですね。

脚本は黒田洋介氏、キャラクターデザインは羽音たらく氏ですが、

この両人はこれより10年前にやはり信州の木崎湖を舞台としたオリジナル

アニメ「おねがい☆ティーチャー」を製作しており、それとの

つながりから入ってきたファンも多くいるようです。

アニメーターに手によってほぼ正確に、かつ美しく描かれた

小諸の街を舞台に繰り広げられる、高校生たちのひと夏の青春物語。

SF要素あり、笑いあり、恋愛と失恋あり、ああ青春だねえと郷愁に

浸りたくなるアニメですね。

 このアニメをきっかけに小諸を訪れるファンの方も増えたようで、

小諸の観光業界もかなり力を入れています。

タイアップの観光ポスター(春夏秋冬4バージョンあり)のみならず、

毎年夏に開催される盆踊り「ドカンショ」では有志による

「なつまち連」が結成されるなど、盛り上がっていました。

放送から10年経った現在も根強いファンが小諸を訪れているようで、

小諸出身者としては嬉しい限りです。

 

 

渋温泉~地獄谷のスノーモンキー

 1月9日、3連休を利用して信州の渋温泉に1泊旅行に行ってきました。

年末年始に降った雪がまだ残っているはずで、雪の温泉街は魅力的ですからね。

まずは北陸新幹線長野駅まで。1日目は寄り道をせずに宿まで直行します。

長野駅からは長野電鉄の2100系特急「スノーモンキー」に乗車。

元はJR東日本253系で、特急「成田エクスプレス」に使われていた車両です。

長野電鉄の特急には過去に何度も乗っていますが、1000系「ゆけむり」

(元は小田急10000系HiSE)ばかりだったので新鮮でした。

といっても「スノーモンキー」も長電デビューから10年を過ぎていますけどね。

 湯田中駅から渋温泉までは路線バスもあるのですが、本数が多くないのと

歩いても20分程度の距離であるため、徒歩で向かいました。

 渋温泉は横湯川の川沿いにあり、昭和初期の町並みが残る閑静な温泉です。

大きなホテルは少なく、木造の和風建築の温泉旅館や飲食店が細い石畳の道の

両側に密集して建ち並んでいます。

私は「白銀屋旅館」に宿泊しましたが、ここもこじんまりとしていながら

古き昭和の雰囲気が残るよい旅館でありました。

各旅館にも内湯はありますが、ここでは外湯を巡るのが有名で、

9つある外湯を全て巡ると満願成就するといわれています。

私も夕食後に外湯を巡りながら温泉街を散策してみました。

渋温泉は古い木造建築が多いですが、特に有名なのは「金具屋 斉月楼」。

木造4階建の和風建築ですが、楼閣のようでもあり、遊郭のようでもあり、

荘厳な雰囲気をもつ独創的な設計になっています。

ライトアップもされていて、多くの温泉客が記念撮影をしていました。

 

 翌朝は渋温泉から川をさらに上流に上ったところにある、地獄谷野猿公苑

行ってみることにしました。

この野猿公苑は野生のニホンザルが温泉に浸かる姿が見られる世界唯一の

場所であり、海外の写真雑誌で紹介されたことで一躍、外国人観光客の人気

スポットになりました。ニホンザルが吹雪に吹かれながら温泉に浸かる姿は

愛らしく、「スノーモンキー」と呼ばれるようになりました。

子供の頃、地域学習で地獄谷の猿の話は聞いたことはあるような…

ただ「スノーモンキー」というワードを観光案内で聞くようになったのは

ここ15年程度の話だと思います。

最寄りのバス停から雪の残る遊歩道を歩くこと約30分。

山の中の秘境の温泉、地獄谷温泉に到着しました。

温泉に浸かるサルの姿は多くの媒体で既に見ていますが、実際に本物を見ると

感激が大きいです。ニホンザル自体は動物園でも見られますが、野生の姿を

近くで見るとなかなかかわいいと感じさせられます。

スノーモンキーについてはだいぶ知名度が上がってきているようで、この日も

お猿さんが浸かる温泉の周りでは多くの観光客がカメラを向けていました。

私が着いたときにはちょうどテレビ局(SBCだったかな?)も取材に来ており、

夕方のニュースで私も画面の端に映っていたかもしれませんね?

驚いたのは、お猿さんたちが人間に対して全く警戒心を持っていなかったこと。

1m以内の至近距離に人間がいてものんびりと温泉に浸かり、

親子で毛つぐろいをしているのですから、相当人間に慣れていますね。

帰りも長野電鉄の特急「スノーモンキー」で帰ります。

急げば1本前の特急「ゆけむり」にも乗れましたが、お猿さんの撮影に夢中に

なっている間に時間が経ってしまったので、半分偶然で行きも帰りも

特急「スノーモンキー」を使うことになりました。

冬の渋温泉スノーモンキーという鉄板の組み合わせでしたが、

とても満足できる旅行になりました。