E2系あさま
在来線の特急「あさま」の名を引き継ぎ、
1997年10月の高崎~長野開業時から約20年間走り続けてきた形式の引退には
寂しいものがあります。
開業当時、筆者はまだ小学生でしたが、
オリンピックと合わせてみんなが熱気に包まれていたのを覚えています。
クラス全員で「新幹線を見るためだけに」駅に行ったような記憶があるんですが、
違ったかな?
以来、家族旅行に、進学時の上京に、実家への帰省に…
数えきれないくらいお世話になりました。
そして、長野県東信・北信地方の交通事情に大変革を起こした車両といえるでしょう。
平成初期の長野県北部はまさに「陸の孤島」。
最速の交通手段は信越本線の特急「あさま」でしたが、
急勾配の碓氷峠では補助機関車の連結と厳格な速度制限を受けることもあり、
東京上野から長野駅まで3時間近くかかっていました。
上信越自動車道、長野自動車道もまだ未開通でしたから、クルマを使うとなれば、
片側1車線でヘアピンカーブと急勾配が続く国道18号を通らなければならず…。
新幹線開業前、特急「あさま」を使っても軽井沢~高崎間は1時間かかりましたが、
開業後はたったの15分に!
「東京~長野 最速79分!」の宣伝、覚えている人どれだけいるかなあ…
※ちなみに2017年3月現在、東京~長野の最速列車は途中大宮のみ停車で80分であり、
79分という数字はギリギリ破られていません。
これは東京~長野を本当にノンストップで走っていたからです。
いくら県庁所在地とはいえ、東京から長野までノンストップ便にどれほどの需要が
あったのでしょう。こういう宣伝のためだけの列車ってどうなのよ…
EF63形機関車の活躍が魅力的だった碓氷峠、横川~軽井沢(ヨコカル)の光景を
愛した鉄道ファンからすると、E2系は憎い存在だったかもしれません。
しかしそのE2系も送られる立場になったことに時の流れを感じます。
便宜的に使われ始めた「長野新幹線」という呼び方も結局17年以上使われ、
すっかり定着してしまった感があります。
この日が来ることは覚悟していたのですが、
人生の節目や幼い頃に乗り合わせた車両が引退するのは寂しいもの。
駅の案内は「北陸新幹線」という本来の表記に直されましたが、
赤帯の「あさま」専用E2系は、私にとっては今でも「長野新幹線」のイメージ。